第3回大会に向けて、またまた、「ベトナム」ネタで書かせて頂きます。が、しかし、その前に本年(2011年)3月11日に起きました東日本大震災、そして原発事故、その風評被害等、これまでの生活を根底から考えなおす事態に際し、被災された人々への思いを今一度新たなものとしてとらえ直し、支援しなければならないと考えていることを表明いたします。
その上で本ブログを再スタートします。
差別はいけない、と初めて習ったのは小学校での道徳であったろうか。が、いじめや差別が日常に満ち満ちていた昭和30年代を送った。
川向うへ行くな、と言われたことを覚えている。が、日常的にはよく出かけ、遊び、時にけんかもした。何がいけないのか、よく分からないが、親や地域の大人からそう言われたことだけは記憶している。
こうした地域における差別体験が親から子へ刷り込まれていったのだろうか。学校で習うことと現実は違ったのだ。そのことへの違和感さえ鈍磨になっていくのだろう。しかも無自覚的にである。
アメリカにおける黒人差別を少しずつだが知るようになると、なんて酷いことを!と感じるようにはなってきた。昭和39年東京オリンピックで初めていろいろな外国人を見た。これだけの人種があることに不思議な感じがした。
映画やドラマでアメリカを舞台にしたものやアフリカの奴隷の話を見聞きするようになってからは、人権問題というものを少しずつではあるが意識するようにはなってきた。
高校生になってからは三一書房や大月書店の本に自然に手が伸びるようになった。が、今思い返してもなぜそうだったのかはよく分からない。
ケネディ大統領の暗殺には身も心も凍りついたことを記憶している。テレビ中継で見たからか、そうではないようだ。どうやら日本におけるケネディ人気に乗せられていたのだろう。が、キング牧師の暗殺には一向に記憶がないのだ。
そういえば、映画「ジャイアンツ」(ジョージ・スティーブンス監督、1956年)の中にも人種問題のシーンがあったことを思い出した。テキサスの大牧場主ビック・ベネディクトが長男とその嫁たちとレストランに入るも嫁の人種をめぐり、店主とビックが殴り合うシーンだ。
冒頭の「ベトナムを超えて」とは、1967年4月4日のニューヨークの教会でのキング牧師の演説である。世界最大の暴力装置としてのベトナム戦争に反対したものである。が、この演説はマスコミから総スカンを食らう。黒人からも背を向けられることとなる。
そして、1年後の同じ日に暗殺される。
1986年から毎年1月の第3月曜日(誕生日に最も近いという意味でこの日に)は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生誕を祝う連邦記念日となっている。
キング牧師は1964年、つまり東京オリンピックの年にノーベル平和賞を受賞されていることを記しておこう。
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