蔵書癖が抜けない私は、新刊書も探しに本屋さんへ行くが古本屋さん通いもやめられない。目的の書があることもあるし、ないこともある。かつて右から書名が始まる古〜い文庫本の奥付には夏目印があった。夏目漱石自身が押すはずもない事だが、何となく嬉しくなる。
不思議な感覚であろう。
過日、国分寺の古本屋さんで筒井康隆の「ベトナム観光公社」を見つけた。ハヤカワ文庫JA20、昭和48年12月15日発行とある。定価も270円とある。九つの短編が収められている。当該のタイトルの短編は、213頁から247ページである。
まず、巻末の荒巻義雄の解説の項を紹介しよう。
筒井康隆の、飛行機嫌いは有名である。
「あんな重いものが、空に浮かぶわけがない」と、いうのだ。
人々はそれをきいて、噴きだしたり、筒井康隆らしいなという。彼一流の冗談だとする。
が、ぼくには、そこに彼の生きている生き方の原点をみる思いがする。人々がバラ色の未来学で、科学技術と経済の万能を信じきっていた頃、彼のみは見抜いていた。
時代は権力という演出家によって大きく演出される。
誰もが信じきっていることを、彼は信じていない。「人は
疑う
葦である」の彼独特のパンセがある。だからこそ彼は、まだ誰も気づかぬうちに、あのベトナム戦争の意味を悟ったのだろうか。
彼が“ベトナム観光公社”を書いたとき、正直いってぼくは、彼に批判的だった。あの残酷な皆殺し戦争さえもカリカチュアしてみせる彼についていけなかったからだ。大国の利益のために人が死ぬ。人が死ぬことで、海のこちら側の誰かが儲ける。戦争の
仕掛
は歴然としている。
何もできなかったぼくだが、痛みはかんじた。精神の痛みだ。それでどうなる、という声もきこえた。しかし痛まぬ心よりも痛む心を持つべきだ。痛む心は、ひとつひとつは無力でも集まれば良識となる、と考えていた。
しかし、筒井康隆は、ぼく以上に人間の
おろかさ
を見抜いていた。
一年ほどしてぼくは、実際にベトナム上空をとぶ。むろん旅客機だから戦場を遠く迂回していた。その安全なところで、ぼくを含めて乗客たちは何かを期待していた。何かとは、出来事である。平和を祈るものはだれもいなかった。ぼくは、ふと見物席に坐っていた自分に気づいた。
尻馬にのる、すなわち加担は容易である。正義を後光として裁きの座に坐ることも容易である。しかし、人間が人間の本性のおろかさに気づくことはむずかしい。まるで、コロセウムで熱狂したローマ市民とおなじ、あのおろかさが自分にもあったと気づいて、ぼくはぞっとしていた。・・・・・・
そのおろかさを人の不条理というべきだろうか。神にはなれぬ人間の本性をどう抜けだすべきだろうか。単に自嘲しておわらざるをえない業なのだろうか。
おそらく、解決はないだろう。
しかし、人間がそれを識ることは識らないことよりははるかによいことである。人間が真に賢明であるとは、我々が人であることのおろかさを認め、識ることではないのか。
以上、荒巻義雄による解説のうち「ベトナム観光公社」に関する全文を紹介した。
では、この「ベトナム観光公社」とは、いったいどんな小説なのか。
荒巻の解説を全部載せたようにはいかない。一部掻い摘みながら、真髄を紹介することに挑戦してみよう。
新婚旅行の行く先にもその年ごとの流行というものがあって、前年の暮に新婚旅行評論家が、来年の流行はここですとでたらめに指定したが最後、猫もスプーンもどっとそこへ押し寄せる。宿泊費がいかに暴騰しようと、ラッシュで怪我人が出ようと、他の快適な観光地が、いかにガラ空きであろうと、流行に乗り遅れては大変とばかり、大挙して鳴りもの入りでくり出す。
だが、おれはそんな馬鹿な真似はしない。おれは二年ほど前から、新婚旅行の行く先をちゃんと決めてあった。火星のアキ・マキ合歓木栽培場だ。これは夕暮れの景色のすごく美しいキャット・ウォーク峡谷にあって、観光設備の整ったダカー市から少し離れたところにある。安あがりでしかも静かな、快適な観光地だ。
許嫁者として選んだ女も利口な女だったから、おれに同意した。亭主の言うことに反対するような女とは、おれは結婚しない。
おれとフィアンセは東京メガロポリスの北端にある宇宙空港にやってきた。式は旅行先で挙げるつもりだった。
さて、おれとフィアンセは展望リフトで空港二十二階のロビーに出た。
「ここで待っていろ」と、おれは彼女に言った。「案内所へ行ってくる」
彼女は不安そうに周囲を見わたしてから言った。「早く戻ってきてね」そういって、おれの顔色を伺うような態度を示した。
「さあね。遅くなるかもしれんよ」おれはむっつりした顔でそう言い捨て、ロビーを出た。
旅行案内所に入って、一週間前に宇宙観光公社で買ったクーポン券を出し、受付に見せると、その若い痩せた案内係は、眼鏡の奥の臆病そうな眼を丸くして訊ねた。「ダカー市におでかけですか」
「そうだよ」
「今年は、ほとんどの方が土星に行かれるのですが」と、彼はおろおろ声でいった。「どうして、ダカー市なんかになさるのですか。あそこへ行かれた方は、今年はまだひとりもないのですが」
「だって、おれの勝手だろ?」
「それはそうですが」案内係はカウンターの隅を握りしめ、泣きそうになっていた。「これは親身になって申しあげるのですよ。あそこへ行くと損です」そう言って彼は、ちらと他の客の様子を横目で眺めた。
「だいいち、ダカー市行きの便がありません。あそこへは定期便は出ていませんからね。もしあなたが、あそこへ行かれるとしたら、そのために宇宙船を一隻出さなければいけないのです」
「それは当り前だろ」おれはクーポン券の端を指さきでつまみ、彼の鼻さきでひらひらさせた。「宇宙船を出してくれ。クーポン券を買ったんだぞ。出してくれないなら、宇宙交通交社を詐欺で訴える」
「まま、お待ちください」彼は息をのみ、顫える手でおれを押しとどめた。「実情を申しあげましょう。火星の観光地へ宇宙船を出す場合は、火星観光部の次長のサインが必要なのです。ところがその次長は、どうせ今年いっぱいは暇だからと多寡をくくって、アフリカへ猛獣狩りに行ってしまったのです。どうにもならないのです。お察しください」
「その次長のところへ行って、サインを貰ってくればいいじゃないか。次長はアフリカの何処にいるんだ?」
「中央アフリカのバンギというところでございます」
「そこへ行く便はないのか」
「あります」と彼はいった。「この空港から、中間圏ジェットで、一日二往復しています」彼は腕時計を見た。「次はあと十分で発進します」
「君、行ってきてくれ」と、おれはいった。「行って、サインを貰って戻ってきてくれ。おれはここで待っているから」
「どうしてもとおっしゃるなら、行ってまいりますが」彼は泣いていた。
「じゃあ、おれもいっしょに行こう」
「では、急ぎましょう」
≪つづく≫
|